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輪読会10.26

2015.11.03

午後6時半より。『里の在処』はこれで読了ということに。「農村の継承と循環の系へのまなざし」は、前日、寺報の取材のために訪れた村上家の家屋や生活様式そのもの。以下、寺報『仏法領62号』あとがきをそのまま、コピーする。
十月二十五日、阿部正紀(記事担当)さん、大迫光浩(写真担当)さんと村上家を訪問。今回は編集委員さんにも、巻頭の記事を書いてもらおうとの魂胆です。上高屋でこんな澄んでいる水を見たことがなかった!日本の原風景だ、感動した…。住職の思うつぼでした。(笑)
 農業の営みは、「自然の継承と循環、家の継承と循環、集落の継承と循環の中に展開している」と哲学者の内山節(たかし)は言っています。個人の心の持ちようとすれば、歴史や伝統という縦軸と自然や人とのかかわりという横軸の交わるところに自分の生存が見出せ、めいめいが自分の人生の折り合い、意味を見つけてきたということでしょう。
 縦軸と横軸に限りない智慧と慈悲、阿弥陀なるはたらきを実感し、日々の営みでの自分の計らいを罪悪深重と見つめ、接点としての個を確かめ自覚するというのが浄土真宗という宗教が荷(に)なってきた意味でないかと思います。
 現代の私達はしっかりとした生きる意味を見失い、欲望や自我意識に振り回されて、あたかも漂流するかのごとくに生きています。もう一度、先達が営んできた生活の原点を確かめることの大事さを実感しています。
 百聞は一見にしかず。「確立した個」、立派な人間になろうなどという自意識から出発しなくても、手応えのある人生を送ってきたのが父祖の人生でした。お念仏の中に人生を見出し、堂々と生きていきましょう!レッツ、ナンマンダブ!